愛と慈しみを!
父の遺志を活かし医者の道を目指す

父リチャードの死後、一家は母ジャンヌの生まれ故郷であるジュネーブに移り住みました。マルセルは州立高校に通いはじめます。彼はここで語学の才を磨きました。その後のジュノー博士の卓越したコミュニケーションの才能はここで養われたといっても過言ではありません。

マルセルの勉学は人の役に立つことを目的としていました。ラテン語やイタリア語など語学は勿論、化学や生物学など必死に勉強しました。彼の瞼には、困っている人がいれば必ず手を差し伸べていた両親の姿がやきついていたに相違ありません。
1922年、18歳になっていたマルセルは困窮したロシアのこどもたちを解放しようと、子供解放運動のリーダーになります。迫害されている人や困っている人に愛の手を差し伸べるジュノー博士の人道主義、博愛の精神は、このころから培われていたことがわかります。
1923年、マルセルはドイツ語や英語など様々な言語で学士号を取得しました。そして、1929年、ジュネーブ大学で医学の学位を修得します。

1931年、27歳になったマルセルはスイスの国境に近いフランスの町ミュルーズの市民病院で外科病棟のインターンとして勤務します。ほどなくして外科医師免許を取得しますが、助けを求めている人のために腕を揮う、やさしい医師だったと思われます。彼が優秀な医師であったことは、1935年31歳の若さで外科病棟のチーフに抜擢されたことからも容易に想像できるでしょう。

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