憎むべきは戦争?
ICRCの派遣員としてエチオピア戦争へ

そんなマルセルに転機が訪れます。「きみに赤十字国際委員会の派遣員としてエチオピアに行ってもらいたいんだ」。ロシアの子供解放運動をしていたときの同志からの頼みでした。
マルセルはこの依頼を受けるべきかどうか悩みました。今いる環境は医師として勉強をするには絶好の場所だったからです。

彼は病院長に相談します。「世界というものを見てきなさい」。病院長はマルセルにアドバイスします。マルセルのような優秀な人材を手元に置いておきたいと思うのが人情でしょう。しかし、病院長は医師としてのマルセルの将来のために、そして彼の助けを必要としている人々のために、すばらしい助言をします。
こうしてマルセルはより多くの人を助けるためにエチオピアへ赴く決意をしました。この決意こそマルセル・ジュノー博士の激動の人生の幕開けとなったのです。

ジュノー博士のエチオピアでの任務は出来るだけ多くの赤十字野戦病院を組織することと、その運営にありました。この頃、イタリア軍はエチオピアに侵攻、第二次エチオピア戦争の火の手は拡大の一途にありました。戦況は歴然としていました。近代兵器を装備したイタリア軍の前にエチオピア軍はなす術がありません。負傷者は増え続けます。イタリア軍はジュネーブ条約を無視し、非戦闘員ばかりか赤十字さえも攻撃目標にしたうえ、化学兵器まで投入していたのです。
想像を絶する惨劇が毎日のように繰り広げられます。ひとをひととも思わぬ残虐な行為。そして消耗品のように日々消えていく生命。博士は人間の心の奥底に巣喰う悪魔を目の当たりにします。無力感と絶望が容赦なく博士に襲いかかってきました。

人間が本来持っている愛を信じ、博士は懸命に困難に立ち向かっていきます。しかし、捕虜の交換交渉に失敗した博士は、己の無力さ、人間の醜さに弄ばれます。
それでも、博士は目の前で行われる行為とは真反対の活動、つまりひとがその生命のために本当になすべき行為の実現に心血を注ぎます。自らの命を危険に晒すことも顧みず、博士はエチオピアの南部戦線と北部戦線を何度も行き来し、負傷者の救援、医療物資の供給に当たったのです。「憎むべきは戦争で、人間ではない」。この考えが博士の不屈の精神の支えとなったのです。

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