ICRC駐日代表部首席代表の任を終えた博士は、日本を去り、1946年、ジュネーブに戻ります。以後、医者としての活動に復帰し、翌年に『第三の兵士』(邦題:ドクター・ジュノーの戦い)を上梓します。その後も赤十字国際委員会副委員長を務めたり、ユニセフの活動をしたりと人道支援に専念します。そして機会あるごとに毒ガスや核兵器の非人道性を強く訴えたのです。

1961年6月16日、博士はジュネーブ病院で勤務中に心臓発作に倒れ、帰らぬ人となります。享年57。これだけの功績を残した人にとってはあまりにも短すぎる一生でした。
多くの人からのメ叫びモに心からの慈愛を持って助けた博士の偉業はいつまでも記憶されて然るべきものでしょう。



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